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日语毕业论文范文最新10篇

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日语与汉语的联系很密切,在古代(唐朝)的时候,由于受到汉文化的影响。在日语教学中,不仅要讲解日语语言知识,训练日语的运用能力,而且还要重视有关日本的社会文化、背景知识的导入。读书破万卷下笔如有神,下面众鼎号为您精心整理了10篇《日语毕业论文范文》,希望朋友们参阅后能够文思泉涌。

日语硕士毕业论文 篇一

日语硕士毕业论文

从动画信仰看年轻人的新宗教观

アニメへの信仰心を結びつける若者の新しい宗教観

要旨

本文ではアニメ作品の外部に存在する宗教的要素についてみていく。作品の外部に存在する宗教的要素とは、その作品の内容自体には宗教的要素がそれほど登場していないにもかかわらず、外的要因によってその作品と結びつけられている宗教的要素を指す。ファンたちがアニメ作品の聖地巡礼として行っている神社参拝がその例である。本文ではテレビや新聞などのメディアでも多く取り上げられた「らきすた」と「戦国BASARA」の事例を示す。それらから、アニメの外部に現れている宗教的要素とその役割、そしてアニメと若者の宗教的行為の関係性について考察する。

キーワード:アニメ  宗教観  若者

1. はじめに

現代の日本を見てみると、長い歴史を持った日本古来の宗教やそれに関連した行事は、日本人の日常生活の一部となる中でその宗教性を認識されなくなってきている。その一方でクリスマスといった外来の宗教行事が、一種のイベントとして日本人の生活の中に深く浸透している。それはつまり、今の日本は様々な宗教が身近に存在し、それらが日本人の生活に定着している一方で、宗教が宗教として認識されていない状態なのである。また、現代の日本人は一般的に無宗教的だと、主観的にも客観的。にも認識されている。このように現代の日本は、宗教の価値が揺れている時代である。このような状況の中、宗教は現代の日本文化にどのような影響を与えているだろうか。そして宗教と現代の日本文化はどのような関係性を持っているだろうか。この論文では現代日本を代表する文化の一つであるアニメと、日本に存在する宗教の中でも古来より信仰されている神道を主に取り上げる。アニメにおいて宗教的要素がどのように現れ、どのような役割を果たしているかを見ていき、アニメと宗教の関係性を考察する。論文の構造としては、本文では、「らきすた」と「戦国BASARA」を例に挙げ、外的要因によってアニメと結び付けられる宗教的要素について考察する。

2. 先行研究

インターネットでいろいろと調べたが、国内では大分日本のアニメ産業とかアニメの表現とかの研究である。アニメと宗教の関係についての研究はそんなに多くないである。私の論文は

それらに比べ物にならないだが、本文はアニメにおける宗教的要素はそれに対する信仰心を視聴者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的価値観をも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影響を与え合うという、非常に強い関係性を持っていることに検討している。

3. 「らきすた」と「戦国BASARA」の事例

3.1 「らきすた」の事例

「らきすた」は、美水かがみによる同名コミックを原作として、 年に独立UHF 局で放送されたアニメ作品である。女子高生の日常をコメディタッチに描いたアニメであり、作品自体には宗教的要素はほとんど登場しない。主要登場人物である柊かがみ、つかさ姉妹の実家が鷹宮神社という神社であり、彼女たちが巫女として神社で働くシーンが作中に登場するぐらいである。しかしアニメ雑誌などで鷹宮神社のモデルとして埼玉県鷲宮町の鷲宮神社が紹介されたことにより、ファンがアニメに登場した場所として鷲宮神社を訪れるようになった。鷲宮神社は関東最古の大社と言われるなど、非常に長い歴史を持った神社である。そんな鷲宮神社で、アニメファンたちが「らきすた」の登場人物のイラストを絵馬に書きのこし、登場人物のコスプレをして参拝を行う姿などがテレビなどで大きく取りあげられた。そして鷲宮町の商工会が独自のアニメグッツ制作やイベントの運営など、地域振興策に取り組んだ結果、鷲宮神社を訪れるファンの数は増え続けた。それは初詣の参拝客数が 年にはその年の埼玉県内第3 位となる約30 万人、 年には第2 位となる約42 万人、 年には過去最高の45 万人に達したほどである。

3.2 「戦国BASARA」の事例

「戦国BASARA」は、同名のアクションゲームを原作として2009 年にTBS 系列で放送されたアニメ作品である。戦国時代を舞台に、設定や外見を大胆にアレンジされた、実在する戦国武将たちの荒唐無稽な戦いを描いた作品であり、「らきすた」と同様に宗教的要素を扱っているわけではない。しかしながら、ゲームやアニメのヒットによって女性ファンの間で戦国武将ブームが起こり、主人公の一人である伊達正宗ゆかりの地である、仙台城跡にある宮城県護国神社に多くの女性ファンが訪れた。宮城県護国神社は、明治37 年に招魂社として総見された神社で、現在は宮城県出身の戦没者を中心に多くの英霊が祭られている。以前は中高年層の参拝客が多かったが、現在では若い女性の参拝客が増え、アニメやゲームに出てくる戦国武将のイラストを絵馬に残していく姿がよくみられるという。

4. 若者の宗教性と聖地巡礼における神社参拝との関係性

4.1 若者の宗教性の特徴

現代において、日本人の宗教に対する興味、関心は希薄である。それは朝日新聞のの調査で「宗教に興味がない」と答えた人が77%に上ったという結果や、さまざまな調査で「特定の信仰を持つ」と答える割合がしだいに減少し、現在では3 割を切っているという現状から分かる。しかしながら日本では、一年を通して初詣や七五三またクリスマスなどの様々な宗教的行事を多く行われ、朝日新聞の調査によると全国平均で約半数の家庭に仏壇や神棚があるなど、日常生活に宗教が根付いているのも事実である。このような状況から考えると、日本人は無意識のうちに様々な宗教を受け入れ、宗教に対する信仰心がありながらも、積極的に特定の宗教を信仰することや、自覚的に宗教に接する機会が少ないという意味で宗教性が薄いと言える。

そのなかでアニメファンの中心である10 代から30 代の若者の宗教性はどのようなものであろうか。若者に関しては様々な調査で、「信仰がある」とする割合が他の年代に比べて低い、「宗教を大切にする」とするよりも「宗教を大切にしない」とする割合の方が多い、「神仏どちらかを信じている」とする割合も減少し続けているなどの結果が出ている。これらの調査結果から、若者は伝統的な宗教や既存の宗教に対する興味や関心が低いことが分かる。また他の年代に比べて墓参りや初詣以外はあまり行っていないという調査結果から、若者には宗教的行為を行う機会も少ないと言える。このように若者は他の年代に比べてさらに宗教性が薄いのである。

しかしながら初詣に関しては特徴的で、他の年代よりも実施する割合が高く、しかも実施する割合は年々増加している。したがって若者は宗教的行為の中でも初詣に対しては関心が高いと言える。ただし、そうは言っても若者と神社のつながりが特別強いというわけでない。初詣以外で神社に参拝する機会が少なく、自分の住んでいる地域の神社と関係性をもたない割合が四割を超えるなど神社自体に関する関心は低いのである。これは初詣が日本人の年中行事として定着するなかで、宗教行事としてみなされることが少なくなり、若者にとって一種のイベントとなっていると考えることができる。

4.2 若者の宗教性の特徴と聖地巡礼における神社参拝との関係性

若者の宗教性の特徴は上記のとおり、「既存の宗教全般に対する関心は薄いが、初詣に関しては行う割合が高い」というものであった。ではこのような若者の宗教性とアニメ作品の聖地巡礼における神社参拝はどのような関係性があるだろうか。神社に対する参拝というものは元々、伊勢神宮で祀られている天照大神、出雲大社で祀られている大国主の命みこと、全国に存在する稲荷神社や八幡神社における稲荷信仰、八幡信仰など、各社の祭神への信仰心によるものであった。初詣も住んでいる地域の氏神神社やその年の恵方、すなわち縁起が良いとされる方向の神社へ参詣するものであり、神が居住まいを正して来臨してくる「ハレ」の時である正月において、神を清浄な心身で迎える行事であった。これらは日本人に代々根付いてきた素朴な信仰心によるものと言えよう。

しかしながらアニメファンの聖地巡礼における神社参拝は、そのような従来の宗教的価値観や信仰心のもとで行われているものではない。外面的には日本の伝統にのっとった宗教的行為ではあるのだが、神社への参拝を行うアニメファンの原動力となっているのはアニメ作品に対する興味や関心という、日本人に根付いてきた信仰心とは全く別のものであるである。そして、聖地巡礼という言葉がもともと宗教的な用語であることを考えると、アニメ作品の聖地巡礼の原動力となるこの興味や関心というのは、そのアニメ作品に対する信仰心と言いかえることができるであろう。つまりアニメ作品という、虚構であり、これまでなかった存在に対する新しい形の信仰心が、神社への参拝という伝統的な宗教的行為に結びついているのである。

アニメファンの中心である若者は既存の宗教に対する関心は薄いかもしれない。しかしながら、アニメに対する信仰心が実際の宗教的行為の実践に影響を与える、つまりまったく別のものを既存の宗教と結び付けるという、新しい宗教観が彼らから自然と生み出されている。このようにアニメの聖地巡礼における神社参拝というものは、新しい宗教的価値観を提示しつつ、日本古来の宗教に対しても目を向けさせるという二面性を持った行為である。そしてアニメ作品において、表面的には宗教的要素が現れていなくても、後発的に宗教的要素を持つという可能性も提示している。

5. おわりに

本文では、作品自体には宗教的要素を含んでいないにもかかわらず、ファンの聖地巡礼という外的要因によって既存の宗教と結び付けられているアニメ作品として、「らきすた」と「戦国BASARA」を取り上げた。これらの作品は、既存の宗教とアニメへの信仰心を結びつける若者の新しい宗教観と、神社への参拝という伝統的な宗教行事への興味や関心を同時に生み出している。これらは先行研究と異なり、アニメが宗教に対して影響を及ぼしている例であり、アニメと宗教の新しい関係性を示すものであった。このようにアニメには、自然崇拝や神道など様々な宗教的要素が登場し、その使われ方も制作者のメッセージの一部としてや、作品の世界観などを特徴づけるためなど多種多様であった。そしてアニメは宗教に影響を受けているだけでなく、逆に現代の宗教的価値観に影響を与えてさえいる。この論文を通じて、一見結びつきが薄そうなアニメと宗教が密接に結びついていることが分かった。そして本論で見てきたように、アニメにおける宗教的要素はそれに対する信仰心を視聴者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的価値観をも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影響を与え合うという、非常に強い関係性を持っているのである。

参考文献

『菊与刀』 Rベネディクト著 劉鋒訳 薩蘇評注 当代世界出版社

石井研士『データブック 現代日本人の宗教 増補改訂版』、新曜社、2007 年

井上順考『神道入門 日本人にとって神とは何か』、平凡社、 年

NHK 放送文化研究所『現代日本人の意識構造 第6 版』、日本放送出版協会、 年

『山陽日日新聞』、2004 年9 月25 日「瀬戸内坂の町今度はアニメの舞台に気鋭の作家ら尾道でロケハンを」

スーザンJネイピア『現代日本のアニメ』、中央公論新社、 年

毎日jp、2010 年1 月5 日「らき☆すた:“聖地”鷲宮神社の初詣で客数45万人過去最高、アニメ放送前の5倍に」

本科日语毕业论文 篇二

摘 要:日语专业的毕业论文一般在第四学年进行,是本科学习的最终一项考核科目。《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》中明确提到毕业论文的目标为:通过毕业论文撰写,培养学生的和直接书面语言运用能力,掌握论文的写作方法,提高思考、分析和解决问题的能力。

关键词:意义 目的 过程 升华

毕业论文完成的基础来源于写作。作为专业教育的必修课程,写作一般在二、三年级开展,共有两次公共考试来评定水平,分别是高校日语专业四级考试和高校日语专业八级考试。(以下简称为专四和专八)

专四对写作的要求是:要求根据规定题目写一篇350-400字的文章,内容要言之有物,表达通顺,格式正确。体裁多为记叙文、说明文,少有议论文,内容贴近学生生活或社会生活。专八对写作的要求是根据指定题目或材料作450-500字的文章。进一步要求用词得体,内容感人,具有较强的说服力,要求考生表明自己的感想和意见,说明文和议论文的比重较之专四有明显提高。

本文首先介绍高等院校日语专业教学大纲中对毕业论文的要求,再结合笔者所在学校的实际情况进行分析,最后说明笔者对于论文指导的个人看法。

一、毕业论文的目的、要求和意义

《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》中对于毕业论文,明确要求到:通过毕业论文的撰写培养学生的和直接书面语言运用能力,掌握论文的写作方法,提高思考、分析和解决问题的能力。要求学生在文中有一定独立见解,论文字数为6000-8000字。

通过将毕业论文与上述专业考试写作要求进行对比,可以发现,毕业论文作为一篇严肃的学位论文,虽因考试时间限制,字数要求差距较大,但其写作目的和要求与专八基本一致。

二、毕业论文写作的现实情况

笔者以自己所在的第二批次录取院校为例,就近3年的日语专业毕业论文进行了一个汇总,得出以下结果。

毕业论文共153篇,选题分类情况如下:文化50篇,文学45篇,社会42篇,语言16篇。通过分析,论文完成过程较顺利,完成情况较好的都不同程度地结合了实际情况,如自己将来的工作和兴趣等。比如,在文化类和社会类题材的论文中有35篇是通过平日喜爱的影视动漫作品来表现的。如从电影《告白》看日本中学生的欺凌问题;漫画《NARUTO》中体现的日本人的团队精神;再如从电视剧《不能恋爱的理由》看日本女性的结婚观等。这是科技进步带来的改变,他们不一定要通过十分严肃或者深沉的途径找到值得深入考察的东西,外语的学习可以更生动,活泼。

三、毕业论文的完成过程

从论文开题到写作再到答辩,每个高校对于毕业论文的流程都有严格的规定和细则。在这些规范之外,完成一篇论文可以简单归总定题―内容―成文,这三个步骤。

1、定题

本科教学中,授课内容很少涉及到比较深入的学术研究,基本停留在语言的学习方面,且学生的生活和社会阅历十分有限,要求他们写出一篇具备思想深度和高度的论文是不切实际的。我建议我的学生从自己的兴趣入手,以由浅入深,以小见大的方式来挖掘平常事物中有内涵的内容。不要把论文写作当做一项苦差,而是要看做一个能够尽情展现自己思想才能和在专业老师指导下研究自己兴趣的好机会,端正了写作的态度,选对了方向,自然这第一步就迈得轻松。

2、内容

常有学生在开始毕业论文写作时,没有一个完整的文章构思之前就匆匆落笔开写,结果出现文不对题,主题松散或写至一半无法继续完成等尴尬局面。产生这一现象的原因就在于大学教学一直强调语言的学习,而论文写作中语言从学习的主要内容变成展示思想的工具。因为没有清楚认识到这点,所以很多学生在论文写作时无法抓住工作的重点,盲目下笔,而导致了上述的问题。

在这里我觉得应该借鉴日本人的制作软件的方法。他们把设计放在第一位,在考虑完每一个步骤和获得客户的完全认可之前,他们可以在修改和提出方案这个不断反复的过程中投入大量的精力,远远超出编程这个阶段。正因为这种事前考虑十分周到,所以避免了在正式制作时以及制成后各种不必要的争端和返工。完成论文也是一样,必须要在正式写作之前大量收集资料和认真阅读、归纳、思考,在对论文的基本内容确定之前都不用着急去成文,以免做无用功。我要求我的学生在题目初定后,都要提交一份提纲,通过面谈确定他们每部分的内容切题,有依据,充实之后才让他们开始成文。

3、成文

日语成文主要看平时的语言功底,指导教师做一定的修正即可,保证语句通畅,基本用词准确,意思表达清楚。

以上是我对论文指导的一点心得。在指导的同时,自己也常会被他们独到的视角和观点所打动、折服。通过论文写作,他们最终达成了自我能力的提升。

培根曾说“读书使人充实,讨论使人机敏,写作使人精确”,踏踏实实地完成以上三个步骤,通过广泛阅读、充分思考的作品才称得上是一篇合格的毕业论文,也是学生自己对大学专业学习的一个最好答卷。

参考文献:

[1] 《高等院校日语专业高年级阶段教学大纲》 教育部高等学校外语专业教学指导委员会日语组 编 大连理工大学出版社 3月

[2] 《日语专业四级考试详解》 许慈惠等 编著 上海外语教育出版社 5月

[3] 《日语论文写作―方法与实践》 于康 著 高等教育出版社 6月

日语毕业论文 篇三

日语毕业论文

『平家物語』における無常観について

摘要

《平家物语》成文于日本镰仓时代,描写了平氏一家由荣华走向没落的历史。书中以保元﹑平治之乱中获胜的平家和战败的'源家之间的对比,以及源平两家争战后对平家的追讨过程为中心,生动地再现了当时处在社会变革中逐渐没落的平安贵族与开始登上历史舞台的武士阶级的社会状况。本研究,基于多次通读这部优秀的战记物语,在深刻理解作品描绘的日本中世宗教状况以及人们的宗教理念的基础上,对 “无常”的观念如何贯穿作品始终,为何能够在人们心中打下深深的烙印等诸多问题进行了探讨。

关键词:平家物语;佛教;神道;无常

要旨

『平家物語』は鎌倉時代に成立した、平家一族の栄華と没落を描いた歴史物語である。保元の乱平治の乱に勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落し始めた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事にかきだしている。本研究では、この最高の軍記物語と呼ばれる物語に基づき、中に描かれた日本中世における宗教の状況やそれに対する人々の観念を解読したうえ、なぜ「無常」という感じがいつも現れ、また人々の心に生じたのかという問題を辿り、検討してみたいのである。

キーワード:平家物語;仏教;神道;無常

目次第1章 序論

第2章 『平家物語』について

2.1 物語の成立

2.2 物語の粗筋

2.3 物語における仏教思想

第3章 仏教の日本化

3.1 神に恵まれた国

3.2 藩神到来

3.3 奈良時代の仏教

第4章 所謂「無常観」

4.1 無常観の起源

4.2 『平家物語』における無常観

結論

謝辞

参考文献

第1章 序論

紀元3世紀ぐらいには、すでに日本列島と中国大陸の交流があった。大国文化に対する憧れを抱えて、中国への留学生が派遣された。遣隋使、遣唐使など、時代によってさまざまな呼び名があるけれども、彼らの背負った使命や志が変わることはなかった。律法、制度の導入につれ、東南アジアに盛んでいた仏教がますます注目された。仏教の伝入がもっと前のことであったが、最初はただ貴族たちだけの信仰となっていた。最澄、空海などの留学僧のおかげで、仏教が咲き誇る花のようにだんだん日本各地に、上から下まで広がっていく。しかし、たとえ仏教の世と呼ばれる平安時代派も、いよいよその時代を迎えようとした。時は紀元12世紀半ば、平家一族の盛衰史を生き生きと描いた『平家物語』における時代である。

様々な人物を刻んだこの物語が、壮大なる戦争の場面を見せてくれる。『平家物語』のシンボルとして、無常観がよく知られている。本論文はその「無常」の解読を検討しようと思って、三つの部分になっている。第2章において、まずは物語の紹介や粗筋などを見てみた。第3章において、前回に提出した問題に応じ日本化した仏教について説明した。第4章において、「無常観」の源について探究してみて、また『平家物語』における様々な人物の例を分析した。以上の研究を通して、『平家物語』とその中に溢れる無常観に対する認識を、もっと深めることができよう。

第2章 『平家物語』について

2.1 物語の成立

平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた歴史物語で、「平家の物語」として「平家物語」とよばれたが、古くは「治承物語」の名で知られ、3巻ないし6巻ほどの規模であったと推測されている。それがしだいに増補されて、13世紀中ごろに現存の12巻の形に整えられたものと思われる。作者については、多くの書物にさまざまな伝えがあげられているが、兼好法師 の『徒然草』によると、13世紀の初頭の後鳥羽院 のころに、延暦寺の座主慈鎮和尚のもとに扶持されていた学才ある遁世者の信濃前司行長と、東国出身で芸能に堪能な盲人生仏なる者が協力しあってつくったとしている。後鳥羽院のころといえば、平家一門が壇の浦で滅亡した1185年から数十年のちということになるが、そのころにはこの書の原型がほぼ形づくられていたとみることができる。

この『徒然草』の記事は、たとえば山門のことや九郎義経のことを詳しく記している半面、蒲冠者範頼のことは情報に乏しくほとんど触れていないとしているところなど、現存する『平家物語』の内容と符合するところがあり、生仏という盲目の芸能者を介しての語りとの結び付きなど、この書の成り立ちについて示唆するところがすこぶる多い。ことに注目されるのは、仏教界の中心人物である慈円のもとで、公家出身の行長と東国の武士社会とのかかわりの深い生仏が提携して事にあたったとしていることで、そこに他の古典作品とは異なる本書の成り立ちの複雑さと多様さが示されているといってよい。

2.2 物語の粗筋

平安末期の日本が、まさに大きな変革や騒乱に囲まれていた。仏に仕えるため出家したがまだ政を握っている法皇と、父親に逆らうことのできない、優雅に暮らしていた貴族と政権を把握し始める武家、また兵を所有する各地の領主と領地の争いで離散になった庶民たち。さまざまな原因でこのような乱世を築いたのである。『平家物語』は、平忠盛の始めて昇殿を許された天昇元年から、建礼門院お往生の建久二年まで、約六十年にわたる平家の盛衰をその内容としたもので、史実のみによらず、想像のみによらず、史実と想像とを交わして、史書と物語との中間をいったものである 。

この物語の主人公の平清盛は、その時代のおかげで出世した。安芸守からわずか十数年に、保元の乱や平治の乱を抑える手柄でついに太政大臣までにつき、そのため一族も極の栄誉を手に入れた。公卿に担当する者が十六人、殿上人が三十人余り、日本全土六十六国の中で平家の所有する領地が三十か所くらいでもあった。まさに真っ盛りといえるであろう。

一方、特権を代々受け継ぐ貴族制度が崩れつづあり、私有荘園と武装を持つ地方領主が舞台に上がってきた。『平家物語』いおける人物中、最も多いのはさすがにこれらの武人である。出征途中、竹生島に管弦する、呑気な経正が、よく書かれ散るのは風雅のためで、戦乱の間に、能登殿が大いにもてるのは、勇武のためである。この両者を重ねたものは、まさに時代の寵児で、瀬政や忠盛が特に光って見えるのはそのためである 。一方、武家を代表する平家一族がその時代に活躍できるのも、各地の大名が支えてあげるために違いない。しかし、政権を握った平家は自らの階級の利益に逆らい、貴族のような生活を極めた。また京で二三百余りの少年を選って、かぶろのように髪を切り、一旦平家の御事悪しざまに申す者があれば、すぐに家に乱入し、私財雑具を追捕し、その人を六波羅殿へ捕まえ、このように天下を好きに扱うにした。後に源氏に負けたのも、誠に「盛者必衰」という言葉に当たったのであろう。

『平家物語』はこの両大武家の政権争いを巡り、様々な人物像や社会万象を生き生きと刻み、その同時に中国の歴史典故や詩歌などもよく出てくる。儒教の道徳観や仏教の宿命論が全書に貫き、平安時期武士階級の精神状況も見事に描写した。しかし常に我々の目に立ち頭に浮かべることは、やはりあの時代の仏教の実態であろう。太政大臣平清盛にしても下級武士たちにしても、彼らは自分の運命をすべて仏に預けるような気が強く感じられる。一の谷の戦いで敗退し、死ぬ前にも西に向かい「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」と十念する薩摩守忠度や、焔に燃えられるように死去した入道相国。これらの描写は、仏教に対する信仰がいかに強かったのを表す他ならないのである。

2.3 物語における仏教思想

さまざまな変革に迫られていた平安朝の日本は、大陸文化を積極的に吸収する一方、仏教も盛り人々の心に根強く留った。鑑真の東渡、唐招提寺の建設でますます興隆になりつつあった。中世の日本人は仏のことに莫大な関心を持ち、生活の面々にも影響された。平氏の創始者の平忠盛は、鳥羽上皇のため得長寿寺を建てから登殿ができ、一族繁栄の土台を築いたのである。各大寺の座主は必ず親王とか地位の高い公卿とかで担当され、仏教の重要さが言うまでもないことである。

貴族にも関わらず、庶民たちの敬う心も明らかに表わされていた。歌女の妓王は入道殿に捨て去られた後、世間に絶望し、ついに出家した。一時に栄華になった佛でも、「いづれか秋にあわで果っべき」という嘆きさえ出て、出家になったのである。現世が不順ならば、来世を求めた方が良い。妓王たちが出家し極楽を求めた果ては、後に後白河法皇 の長講堂の過去帳にも妓王、、刀自、佛などが尊霊と記録されていた。彼らの宿願が叶えたとしても、かなり憐れむことであろう。このように仏法興隆から二三百年の間に、仏教がだんだん本土化また日本化になり、自ら独特の精神教義が出てきたのである。しかし、時は仏法衰微の時期になった。武士豪族の争いで戦争を招き、天下が不安になり続いた。源氏を潰し都から追い払ってから、平氏はまつり事を独断していた。失意した貴族や武士は相次ぎに出家し、来世の福祉を祈ることが多かった。動揺した態勢が人間を恐慌させ、諸行無常の観念もいつの間に人々の心から生じ蔓延り、仏教はこのように俗世間を離れる最もいい口実となった。

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。驕れるものの久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ」。この哀唱をはじめとして、平家十二巻を貫くものは、無常観であり無常の哀感である。いわゆる「無常」、つもり変化の意を表し、世間の物がいつも無限の変化にあったという仏教の基本的認識である。「無常」の生まれは、日本列島独特の自然環境にも深くかかわったと思う。地震、火山、津波、日本民族は昔からこのような災害で生きていた。人間の死去、建物の壊滅、これらの全ては人の精神状況に影響し、存在することがいかに実在的でなく、幻の感覚までも出てきたのでしょう。しかし、広く伝わる仏教こそ、その無常の現れの重要な要素だと思う。なぜ大陸から伝来した仏教が日本国でこんな差異が出たのか。またその異化された仏教に対する認識は、「無常」を形成してきたのでしょか。その両者の間に、きっと何かのかかわりがあるのである。ならば、宗教の面から、その「無常」の起源を辿りしよう。

第3章 仏教の日本化

3.1 神に恵まれた国

長く狭くて、また海に包まれる土地、それが日本列島である。島国として、自然環境がきびしいどころか、時々地震や火山や津波の災害も起こり、結構大変であった。こんな状況で生きてきた日本民族は、言うまでもなく大自然に尊敬かつ怯える感じが生じられなくてはいられなかった。農業生産の豊作や一族の繁栄安全など、これらの不安定な要素をすべて「あるもの」の意志とされば、やがて「神」という言葉が出てきたのである。祖先の崇拝や形のない霊を祭る中で、自然の大いなる力に恵まれているという気持ちも抱えられてきた。『古事記』の編纂により、始めて文の形で日本国と日本人の由来の伝説などを述べ、神の子孫としての誇りが明らかである。

祖先や自然神を尊崇しながら形成したものは、民族宗教であった。それは他の民族の宗教と同じく、最初は単に村全体の繁栄や安全のため祈った行事であった。村人は神社を作り、そこで祭りを行うことにした。古墳時代後期になると、農業生産の進みにより社会の変化が大きかった。家族、氏族などが生まれ、それに対して相応の氏族神も誕生したのである。にもかかわらず、信仰される神が変わっても、その祈りの本質は変わらなかった。こういう時期の民族信仰は、まだ個人的な「福を招き、禍を消す」という念願を実現するために存在していて、教義や理念などは全くなかった。無知な人々は厳しい生存状況で生きられるため、常に神に恵まれるというような感じが生じた方が、心の安らかさができるでしょう。これは最初の「神道」というものである。やがて日本社会の発展に伴い、国家の形で政を処理するには、もっと優れた制度が望ましかった。海の向こう、大陸の中国から国政を学ぶ同時に接触した新たな宗教――仏教も日本の舞台に上げたのである。

3.2 藩神到来

紀元522年百済明王は使節を派遣、日本に仏像を献じた。よって、仏教が朝鮮半島から正式的日本へと伝わってきた。『日本書紀』によると、その献上した仏像を祭るかどうかについて、当時の欽明 の大臣たちは激しい論争に陥った。崇仏派の蘇我氏は「諸外国が尊敬する以上、わが日本国も例外なしに崇めるべし」と述べたけれども、一方排仏派の物部氏は「我が国が天照大御神に守られているながら、また蕃神などを崇拝することは、カミの怒りを招く恐れがある」と強く反発したのである。両大派閥の対立は五十年あまりという、長い時間に続いた。仏教の初登場が激しい反対の声に遭遇したのは、上記の言うとおり本来民族宗教がすでに存在しているほか、当時の政治体制にも深くかかわっていた。朝廷を左右した力は、豪族保守派を代表する物部氏や、新興貴族を代表する蘇我氏であった。前からも帰化人や大陸文化に接触し先進文化に影響された蘇我氏は、仏教を引き入れる機会で、物部氏との闘争に劣勢に処する一族の権力を固めようとした。しかし、伝統権威や民族宗教を支柱とした物部氏は、外来神の仏の伝来に対しては必ず反対の声を響かせるしかなかった。それにもかかわらず、歴史の進むプロセスはいつも止まることがないのである。どんどん政を独断してきた物部氏に、やがて皇室からの不満が出てきた。聖徳太子と手を組んだ蘇我氏は物部氏を潰してから、新たな宗教――仏教がようやく日本全土に伝わることができた。

3.3 奈良時代の仏教

すでに天下へと仏教が広げられ、ならば万民に信仰させ、国の安泰のため仏法を発展向上させるべきである。しかし、事実はそうではなった。国家を守護し制を固められると宣伝された仏教が、最初からも政治宗教となった。朝廷に守られ、お寺などがよく町の周辺で建てられる故「都会仏教」とも呼ばれた。興隆期となった奈良時代の日本仏教は、インドと中国での伝統仏教と違い、基本的な戒律さえも離れ、僧侶は民間へ伝教するようなことをせず、単なる貴族たちに仕えるだけである。ついに国の政に手を出すこともあり、朝廷を左右する勢力となってきた。こういう時期の仏教は新たな事物として政権争いに利用され、これも後に仏教の日本化の兆候となったわけである。しかし、寵愛を一身にしても、所詮外来宗教や政治道具である。律令国家の確立に伴い、の力がますます高き、蘇我氏一族を始末してからやがて君臨するようになった。伝統権威を代表する神道も言うまでもなく新たな高位に置かれた。大化の革新に制定した「大宝律令」によると、神の祭りなどを主管する官吏はから直々の任命、太政大臣同級の者であるが、仏教諸事を処理する機構はただただ治部省所轄の玄蕃寮であった。神高仏低の状態における仏教がよい発展と権力の拡大を求めるには、やむを得ず神道にしたがうことにした。その表現の一つが神社で経文の朗読を許し、いわゆる「神前念仏」である。

初期仏教がつよい政治性を持っているのを除き、民間へ広がることのできないもう一つの原因は、人々固有の観念そのものである。宗教というと、それが現世のことを第一に、生活の安定さや幸せさを祈るはずだと思われた。ですから仏教の来世主義、死後の世界に憧れる考えが一時に納得されるわけはなかった。一方、元来ただ神社に参ることで宿願をかなえることが可能であるが、もし仏を信じるならば、山ほどの戒律や決まりを守らなければならないという恐れもあり、あまりにも実用ではなかった。これはさまざま不確定な要素に囲まれ、尊崇や冷遇の立場にあった前途不明の奈良時代仏教である。

第4章 所謂「無常観」

4.1 無常観の起源

「神」と「仏」の関係転換がただ二三百年かかったといっても、その過程はかなり複雑とは言えよう。いつも原始神道の感化で生きてきた庶民たちにとって、きゅうに別の「神」に信じさせるのは考えられないと思う。固有的な考えを破りにくいので、こういう時に観念転化は必要とする。『平家物語』を読むと、「熊野権現」、「八幡菩薩」などの言葉がよく見られる。特に比叡山の「山王権現」がなかなか権威をおち、山門衆はいつも神與振 の形で朝廷の命令に逆らうことがあり、朝廷を従わせる。日本の諸神に菩薩号を与え、菩薩の神力をつける新たな有力神を作ったわけである。これが本地垂迹である。「本地」即ち物の源や本来面目、ここは仏の本体を表す。「垂迹」は極楽の仏が万民を救うためあるものを借り日本で現れることを指す。そしてその借りものが日本の元来に存在している「神」である。日本の神々は、本々仏の恩恵を人たちに賜るため、現れる仏の「分身」である。

本地垂迹の形で、仏教と神道の衝突を最大限度に下げることができた。人々の固有の信仰を潰せずに仏教の信仰へと導き、両者に対する信仰を折衷し一つの信仰体系として再構成することである。乱世に生み出した「無常」、仏教から出てきた往生思想、これらを交わして生まれるものは、「無常観」だと思う。

4.2 『平家物語』における無常観

前にも「無常」の意味を解釈したが、それはかなり簡単で、なかなか理解できないであろう。実は、論理的なことをほうっておいて無常観つまり、何時も変化している現世に対して厭きを感じると言えよう。この厭きを積んだうえ、不満や辛さも出てくる。一旦そうなると、来世や未知の極楽世界に憧れることもやむを得ずに生じる。ここの「無常」は単なる乱世に対する動揺不安に気になり、世の中のことに信念を失ったばかりではない。中国でもどの国でも、昔には必ずある揺れる時期があるに違いない。その時の人間は、あくまで厭世という感情が出てくるだけである。しかし日本中世における「無常」は、それなりの特質があると思う。その表現の具体化は出家、隠遁ということである。前回の述べたように、奈良時代から神道の陰に置かれた仏教であるが、教理と精神実質のある宗教として決してそのままではいられなかった。神道が仏教の戒律などをかり、自らを充実していこうとして、神の御前の念仏を許したわけである。しかし、実は仏教こそこの絶好の機会で宣伝されることができた。神仏が同所で、神即ち仏、仏つまり神というような錯覚は民衆の心に留まり、個人の利益を求めるために祈るなら、どんな神像に頼んでもよいではないかと思われた。

この溶け合う中で、一番影響されたのが人々の考え、特に死生観そのものである。これらの代表的な例として、『平家物語』に登場した熊谷次郎直実をあげることができよう。無骨の武士である直実は、功名心から敵の頭を切り、武勲をあげることに全精力を傾け罪悪感とは無縁なや武士的な人生を送っていた。しかし、「敦盛最後」にあるように、一の谷で、直実は彼の子供の小次郎と同年と思われる敦盛の首を、泣く泣くに切ってしまう羽目になる。その後、直実の人生に影を落としたものは、殺生を犯した者の罪業観と罪障観であった。それが彼の出家した原因とも考えられている。また、『平家物語』巻十の「戒文」を参考し、平重衡と法然 上人の交渉から、重衡の来世の死生観についてみてみよう。三位中将重衡は南都焼討で悪名高いが、治承四年十二月に平家軍は南都の敵を攻撃している最中に、図らずに東大寺や興福寺などの諸事を焼いてしまった。その後、重衡は墨俣川の戦いや水島の戦いで勝ったが、一の谷の戦いで捕まえられ、鎌倉へ護送されてしまう。彼は鎌倉へ護送の前には、法然を招いて出家しようと思った。南都の諸寺を焼き払ってしまった重衡は、罪の意識を感じ、往生への道が完全に閉ざされてしまったことを自覚した。しかしながら、どうしてもその罪障観から救済されたく、善知識である法然上人に少しの望みを託したわけである。意外なのは、ただの「一声称念罪皆除」と念すれば、何の罪でも消えていくと重衡に明快に答え、浄土宗の基本理念を表したのである。『平家物語』では、この世を無意味だとする精神が、往々にしてこの世を離れがたいものとする精神に圧倒されているのを次々の叙述の中に見ることができると思う。小松殿の息子維盛が何とかして山伝いに京都へ上がって恋しい妻子にもう一度会いたいが、生捕りになった重衡のような目には会いたくない、いっそここで出家して、火の中へでも水の底へでも入りたいと思う、という意味のことを言うと、それに対して高野聖滝口入道が「夢幻の世の中は、とてもかくても候ひなん。長き世の闇こそ心受かるべう候へ。」と、言い聞かせるところがある。そこでは、この世を「夢幻の世の中」などと言って無意味なものとする精神が、優位を占めている。維盛の妻子にもう一度会いたいという気持ちは、それを持って現世的なものへのいたずらな執着だとする仏教思想によって、抑えられている。そのあたりは一応「断ち切る」物語の様相を見せている。

これですこし分かるようになるであろう。中世、平安時代になると、仏教がようやく「神高仏低」の状態から出て、逆に「神低仏高」のように転換された。宗教の重心が変え、それに導き日本にも適切な理論が望ましかった。一番代表的なのが法然の輝いた浄土宗である。「称名」念仏という専修念仏を説いて、仏教の広がりに極大の役割を果たした。往生することがいかに簡単なことなので、信ずる者も多くなり、尊君思想をいつも心の中に置き死を恐れることのない武士たちさえも出家などを行い、来世を求める。往生を念じれば現世に対する不信がもっと深く、極楽を望めば無常についての信念がさらに強く。わずか二三百年で、まるで人々の考えが全く違い、仏教の思想が完全に人たちの頭に染み込んでいたというような気がする。しかし、神道の働きをなくしては考えられなく、むしろ神道の土台があるこそ、こんなに速やかな達成ができたのである。

結論

『平家物語』は庶民、貴族、武士、さまざまな人物像を生かし、彼らの運命の起伏を描写して、その中に貫く「無常観」を訴えるのである。神仏の融合は日本中世における特別の現象で、自分の国の未熟な宗教文化を守り、さらに良い発展を遂げようとする考えで、仏教を利用したのである。神仏習合の産物として、無常の思想が結構長い間に日本人の考えを抑えた。小論はこのような検討を通じ、「無常観」というのが、単なる現世に不満や失望を混じる無常ではなくて、それがまた日本化した仏教の思想を吸収してから、往生の考えを加える来世に憧れる宿命論だということが分かった。このような宗教理念は、日本の中世に深く影響を与え、日蓮宗や真言宗などの派閥も形成してきた。素晴らしいことに、日本民族はこのようにいつも積極的にすぐれたことを取り込み利用したおかげで、どんどんよい国家になってきたのではなかろうか。

謝辞

四ヶ月を経て、多くの方々のご指導及びご協力のお陰で、順調に本論文を書き上げることができました。心より感謝の意を述べさせていただきたいと思います。

まず、この四年間にいろいろとお世話になって、日本語学部の先生方々に厚く御礼を申し上げます。

そして、本論文を書いている間に、テーマの選定から論文の構造まで、指導教官である李冬松先生に大変貴重なご意見をいただき、先生のなみなみならぬご協力があるこそ、論文をうまく完成することができました。ここで感謝いたします。

また、小論を審査し、答弁会にご出席の先生方に厚く感謝の意を申しあげます。

最後に、この場をお借りして、いつも応援してくれた先輩たちや友達にも、感謝いたします。

参考文献

[1]《平家物语图典》上海三联书店20058

[2]周启明、申非译《平家物语》人民文学出版社19846

[3]西乡信纲《日本文学史》人民文学出版社1978

[4]石田一良『日本文学史』神奈川東海大学出版社1994

[5]花山信騰『日本の仏教』三省社19847

[6]松井嘉和『日本文化史』凡人社19955

[7]石田一良『カミと日本文化』ぺりかん社1983

[8]山折哲雄『日本の神々の始原』平凡社1995

[9]川崎庸之『日本仏教の展開』東京大学出版会1982

[10]方海燕《论日本神道教的现世性特征——以中世以前神道和佛教的相互关系为中心》日语学习与研究2007,2:39-43

本科日语毕业论文 篇四

摘 要:近几年来,各高校日语专业本科毕业论文的质量不容乐观。本文结合对毕业论文的指导经验,探讨了日语专业毕业论文质量的影响因素,并提出可行的解决办法,以期有效地提高毕业论文的写作质量。

关键词:日语专业;本科毕业论文;影响因素;对策

毕业论文即学士学位论文,是检验学生在本科四年的学习成果的一种方式,是体现本科毕业生对本专业基本理论知识的综合运用能力的一种手段。同时,毕业论文的质量也能够反映出教师的教学效果。因此,如何完成一篇好的毕业论文是每一个本科毕业生面临的重要问题,如何做好毕业论文指导工作也是高校教师亟待解决的重要课题。本文结合近几年对日语专业毕业论文的指导经验,对这一问题展开讨论。

1.毕业论文质量的影响因素

近几年来,随着高校的不断扩招,各高校日语专业的学生人数在不断扩大,教师指导的毕业生人数在逐年增加,工作量很大。同时,日语专业学生对于毕业论文的重视程度不足,治学不严谨,毕业论文的质量不容乐观。以我校-日语专业毕业论文为例,现总结出以下几点:

1.1选题质量不高,缺乏创新性

撰写毕业论文的第一步是选好题目,确定研究对象。通过对近三年我校日语专业毕业论文的汇总调查发现,选题领域呈现多元化趋势。其中,以日本社会、风俗、文化方面最多,其次为文学方向,语言类仅有几例。从这一现象能看出的问题,首先是大多数学生所选题目与所学的专业知识联系不紧密。有关日本风俗、文化的题目与平时所学的课程内容相差甚远,学生对其内容的涉猎并不足以达到撰写论文的程度,只是凭借自己的兴趣爱好去选题,这势必直接影响毕业论文的整体质量。其次,雷同现象严重。在近几年的论文指导过程中,每年都会有学生选择诸如《日本的茶文化》、《日本的饮食文化》等类似的题目,甚至在同一届学生中,相同选题的情况就会出现2、3例。虽然有时论述的侧重点会有所不同,但从整体上看大同小异,缺乏创新性。

1.2文献资料匮乏,知识储备不足

完成一篇毕业论文需要阅读大量的文献资料。很多学生在选题时并没有大量的查阅资料。因此,在动笔撰写论文时往往会因为资料不足而力不从心,论述的内容缺乏相应的理论数据,难以深挖主题。另外,有不少学生在大学四年的学习中专业知识不够扎实,阅读面狭窄,知识面仅限于教材所学内容,这就造成了很多学生分析和解决问题的能力过低。在论文写作时,无法把专业知识与所阅读过的文献资料的内容融会贯通,灵活运用到自己的论文中。在指导论文过程中,常常会发现学生将参考文献中的内容大量复制到自己的论文中,抄袭现象严重。这些现象都充分说明了学生对所选题目的相关资料准备不足,理论知识有所欠缺。

1.3写作能力偏低

以我校日语专业毕业论文为例,论文可使用汉语或者日语写作,鼓励学生尽量用日语完成。但实际上使用汉语的人数居多,只有少数使用日语写作。从写作水平上来看,用汉语书写的主要问题在于错别字多,语句不通顺等,而用日语书写的论文存在问题很多,例如文体形式应用错误,语法错误多,表达方式上出现“中国式日语”的现象严重。另外,很多学生的逻辑思维能力不足,写出的论文结构不合理,内容不紧凑,最终使得毕业论文缺乏可读性和学术性。

1.4主观重视程度不够

根据教学安排,大部分高校的毕业论文工作均安排在大四的第二学期。这一阶段正是毕业生找工作、实习的时期,往往忽视了毕业论文的写作。有的学生甚至认为毕业论文是大学里最后一项作业任务,学校不会为此而不让学生毕业的,在主观态度上不端正。在毕业论文写作的过程中,很多学生匆忙地选定题目,盲目写作,不悉心听取指导教师的修改意见,这样完成的论文质量当然不会好。在修改学生毕业论文的过程中发现,论文中错别字多,语句不通顺等问题有很多。这些问题其实都是可以避免的,只是因为学生对毕业论文重视程度不够,写作不认真所造成的。

2.提高毕业论文质量的对策

针对以上所分析的日语专业毕业论文质量的影响因素,笔者认为应该尝试在以下几方面采取相应的对策:

2.1阅读文献,认真选题

选好论文题目是写好一篇毕业论文的先决条件。在选择论文题目时,不能盲目选择。这一环节,要充分发挥教师的指导作用,指导学生先确定一个总的选题范畴,然后有目的的去查找相关的文献资料,可以应用图书馆、资料室和网络等资源去查阅,并结合自己的兴趣筛选出一个适合的研究内容,确定题目。这样,学生在撰写论文之前就能够对自己所要研究的对象有充分的了解,正确把握写作方向。

2.2增加知识储备,提高分析和解决问题的能力

阅读大量的文献资料是论文写作的前提,它为毕业论文提供充分的理论数据。大四学生普遍存在阅读量小的问题,尤其是本专业的拓展知识方面尤为欠缺。因此,应该在本科生的日常教学中,扩大学生的知识面,在课内和课外有计划地增加学生的阅读量,注重培养学生分析问题和解决问题的能力。论文写作的过程中,指导教师应在参考文献的选择和如何阅读文献资料方面给与引导,使学生能够有条不紊地完成毕业论文。

2.3重视毕业论文写作,提高写作能力

很多学生对于具有学术性质的毕业论文写作缺乏了解,不清楚毕业论文的结构和撰写步骤,不知道如何选题,怎样查找文献资料,更谈不上提出新的见解。这一问题应该引起学校、指导教师和学生本身的重视。在课程体系设置方面,可以在大三第二学期或大四第一学期开设专门的学术论文指导课程,提前教给学生毕业论文的结构,如何收集资料、确定选题,拟好论文提纲,进而完善毕业论文的内容。在主观上引起学生对毕业论文的重视,在客观上让学生学会撰写毕业论文的方法。这样,学生在真正开始论文写作时就会少走些弯路,提高毕业论文的质量。

虽然在平时的教学中学生会进行日语写作训练,但是毕业论文的写作方法与普通的作文是有很大差别的。在学术论文指导课程中,在传授论文写作理论知识的同时,应该多给学生提供实际练习的机会,使学生在文章体的表达方式和论文的架构能力方面有所提高,尽量避免学生面对毕业论文出现盲目感。

2.4加强毕业论文工作的管理,严把质量关

学校对于本科生的毕业论文工作应该予以严密关注,制定出一套详尽的实施细则。毕业论文工作中的几个重要步骤即指导教师的分配、选定题目、论文开题、完成论文、指导论文,到最后的论文定稿、答辩、成绩评定,每一项工作都做到明确细则,从学校到院系,从指导教师到学生都可以做到有章可循、严格按规则行事。这也能够培养教师和学生对待学术及工作的认真负责的态度和严谨的治学作风。

3.结语

毕业论文是对本科生的专业知识的掌握情况和综合能力的有力体现。影响毕业论文质量的因素有很多,本文只是对其中突出的几点加以列举和分析。在今后的教学中,我们应该结合学校、指导教师和学生三方面的力量,根据日语专业的特点,在日常教学中有计划地指导学生写好毕业论文,有效地组织好毕业论文工作,争取取得更好的效果。(作者单位:安阳师范学院外国语学院)

参考文献:

[1] 杨秀娥。日语专业毕业论文选题过程研究[J].日语学习与研究,,(5).

[2] 封小芹。日语专业毕业论文设计与“中日文化比较”课程的设置[J].长春理工大学学报,2012,(3).

[3] 赵春光。浅析日语专业本科毕业论文质量的提高[J].吉林省教育学院学报,,(5).

[4] 董华。大学毕业论文写作指导[M].北京:中国社会科学出版社,.

日语文化论文发表 篇五

浅析日语中的文化四原色

摘 要: 由文化因素决定的原色就是文化原色。

在日语中存在着四个核心色彩词:赤、黑、青、白,它们就是日语中的四种文化原色。

它们的历史比较久远,因而拥有的附加意义也远多于其他的颜色词。

总的说来,人们认为在古代日本语里把明亮的颜色说成红色,把暗的颜色说成黑色,把无法表达清楚暧昧的颜色说成蓝色,能够表达清楚的颜色则说成白色。

从这四种原色中所拓展出来的文化内涵赋予人们更多的智慧与灵感,并被运用于 语言、人生观及生活空间等方面。

关键词: 日语 文化四原色 文化拓展

一、文化原色的起源

由文化因素决定的原色就是文化原色,它区别于光学中所讲的红黄绿三原色,三原色学说是物 理学概念,而此处所引的文化原色则属于语言文化学范畴。

此处的原色作为一种文化现象并非自古就已然存在,而是人们在某一时期决定的。

颜色本身是随处可见的现象,但是,比如说把泥土涂抹在肌肤上,或是采集草木汁液染在衣服上,等等,这种让颜色发生转移的做法无疑是人类文明的产物。

颜色文化有其悠久的历史渊源。

汉字中“彩”和“色”是两个字,从形成的历史来看“彩”字起源很早,而“色”则相对晚一些。

“彩”常被用作符咒之意,也即赋予色彩某种神力,而“色”一般和性相关。

现在,一般都用“色”字表示上述两种意思,但不论其表达的是“色彩”也好,“性”也好,都有充分的原始性,也即“色”有着不加管制就会产生危害这一不可思议的魅力。

它处于 政治、秩序的对立面,听之任之则会祸害 社会,所以人们就从文化方面规定某种特定的色彩为原色,这就是原色的起源。

起源于中国的四原色:红、黑、青、白,传到了日本,也就成了日语中的文化四原色,其形容词形式分别 写作:赤い、黒い、青い、白い,均以“イ”结尾,“イ”为日语的元音。

而日语出现的其他色彩,如“黄”、“绿”分别读作:“キ”、“ミドリ”,没有以元音结尾的形容词形式。

所以“黄”“绿”等就不是原色,为原色以外的“其他颜色”。

二、日语中的文化四原色——赤、黒、青、白

1、赤

日语里“赤”的最基本的意思有两个源头。

一个源头是和汉语的认知是基本一样的,是血的颜色。

另一个则是与“くろ”明暗相对的一对概念(佐竹昭広,1955),和“朱”(在日语里朱的意思是红色)、“明ける”(亮)、“明るい”(明亮)是同源,“夜が明けて明るくなる”(黑夜越来越亮了起来),红色就是从这个意思被转用了。

在日本,当需要表现太阳的颜色时通常用“赤”进行描述。

而在欧洲通常是用黄色或橙色来形容太阳。

很显然“赤”是与火焰光明 联系在一起的,但这种用红色概念表示光明的用法在汉语中是罕见的。

在汉语里,红色是一个热烈的颜色,多与高兴喜庆的事物联系起来。

在日本的文化里,红色代表喜庆的意味就远远没有中国那么浓了。

红色和喜事相关联的这层意味,在日语中体现得不明显。

另外,日语中“赤”也可以表示革命的含义,但是这和汉语一样,也是在受西方文化的影响下产生的,并不包含于其本意当中,而且因为日本没有真正经历过革命,所以在日语中表示这个意思的词语的数量远没有汉语那么丰富。

2、黒

在日语里,“黒”与“暮”、“暗”“玄”同源,源于日落。

与其相反的概念是日出。

所以“黒”与表示光明的“赤”是一对相对的概念。

只要是光线暗,以及和夜晚的颜色相近的色彩,都可以用“黒い”来表达。

日语中的“黒”更多的是表示光线和颜色的。

虽然,在日语中,也存在“黒”与黑暗和死亡、恐惧、凶事等贬义联系在一起,但是“黒”的这层象征意义在日语的词汇里体现得不明显。

没有像汉语那么多的带“黑”的贬义词。

日语只是在“黒白”对比时,才有这个意思。

比如,“黒白(こく‐びゃく)をつける”表示分清是非,“判決は黒と出た”表示有罪。

然而“黑白”在汉语里一直是一对相对的概念,并且汉语里的“黑白”也有“污浊—清白”、“非—是”的意思。

日语有这样的表达,很可能这个意思是文化交流的结果。

3、青

日语中的“青”和一种植物的名称“藍”同源。

日本人所说的“青”,并不限于英文里的“blue”,而是包含了更加广阔的领域。

在古语中它几乎包含了青、绿、苍白、灰、黑等一系列的色彩概念。

在“青菜(あおな)”、“青葉(あおば)”、“青虫(あおむし)”、“青信号(あおしんごう)”中指绿色,而在“青毛(あおげ)”、“青駒(あおこま)”中则指的是黑色。

因为无意识地使用,所以连自己也没有察觉到。

日本人说“青”,通常是指颜色较浓东西的全部。

像“青海苔”、“青鱼”,虽然并不“青”,但因为颜色浓厚,所以把它们称为“青XXX”。

此外“青”还可以引申为不成熟之意。

如“青二才”指不懂世故不成熟的年轻人,其他的相同用法还有“青书生”“青臭い”等。

4、白

日语中的“白”和“知る”“印”是同源。

“印”的原意是清楚地表示。

“白”色就是从这层意思中转化而来的。

这个时候我们可以注意到不仅母音交替(u-o),甚至语调也发生了变化,从高调将调低调。

因为“青”可以表示不清楚的样子,所以严格来说,在语言逻辑上“白”与“青”是一对反义词。

在日语里,从白色的一尘不染这一层面出发,引申出“无”、“空白”、“不隐瞒”、“无罪”、“没有加工过”等含义。

“判決は白と出た”是无罪。

“白紙子(しろかみこ)”是僧侣穿的没有涂柿漆的纸衣裳。

“白木(しらき)”、“白鞘(しらさや)”分别是本色木料和本色的木刀鞘。

另外,在日本文化中,白色常常可以表示喜庆,这恰恰和汉语中的用法是相反的。

以上就是日语中的四种文化原色“赤青黒白”,这四个基本色彩词无疑是处于核心地位的。

它们的历史比较久远,因而拥有的附加意义也远多于其他的颜色词。

总的说来,人们认为在古代日本语里把明亮的颜色说成红色,把暗的颜色说成黑色,把无法表达清楚暧昧的颜色说成蓝色,能够表达清楚的颜色则说成白色。

这些使人们可能会去想孟塞尔色系里的'明亮度、彩度的概念,但是在现代人们把红颜色当成很清楚(彩度高)的颜色,相反白颜色给人一种很明亮的感觉,因此认为红颜色和白颜色之间发生了逆转。

三、四原色的文化拓展

原色在文化中发挥着重要作用。

据说中国在秦始皇时代至公元元年前后的汉武帝时代产生了这四原色。

人们在决定了四原色的同时,还用四原色来表示某些要素。

那么究竟决定了哪些要素呢?比如说用四原色决定方位,青为东,白为西,朱为南,黑为北(此处指的是形成于汉代的道教以青龙表示东,白虎表示西,朱雀表示南,玄武表示北,的方位表示法)。

把原色与方位一一对应,并制定了相应的顺序。

此外,这四原色还被用于表示季节的变迁。

在“青春”、“朱夏”、“白秋”、“玄冬”这些词汇中,青表示春,赤表示夏,白表示秋,而黑表示冬。

在经历了人生的春、夏、秋的历练后,人们的性格、人格已修炼得深不可测,就像意境深远的玄妙的黑色,故人们称其为“玄”。

由原色所产生的文化内涵赋予我们更多的智慧与灵感,并被运用于语言、人生观及生活空间等方面。

参考文献:

[1]田道太郎。春夏秋冬和日本人的秩序感。南京大学出版社,2003.

[2]新村出編。広辞苑(第五版)。上海外语 教育出版社,2005.

[3]岡崎晃一。色彩語の分類。国語教育考,1998,11.

日语的毕业论文 篇六

关于日语的毕业论文

摘 要:汉语和日语中的量词是极具标志性的语言特点之一,两者之间既有共性又存在差异。对于母语是汉语的日语学习者来说,母语的语言迁移对学习日语既有帮助也有干扰,因此,理解这种迁移现象才能更好地把握日语量词。本文着重分析语言迁移中的正负迁移,探索影响语言迁移的因素,希望可以帮助日语学习者更好地掌握量词。

关键词:语言迁移 量词 正迁移 负迁移

一、引言

量词是用来表示人、事物或动作的数量单位的词。汉语和日语中都没有单复数的形态标记,量词(日语中称为助数词)成为名词数范畴的形态标记,量词也是汉语和日语有别于其他印欧语言的重要特点。由于汉语和日语有着很深的渊源,两者的量词体系也是既具有共性又存在差异。日语在发展中离不开中国文化的影响,因此,量词在很早以前就已经广泛运用在日语当中,并且与汉语量词一样,也是日常生活中所不可缺少的。除此之外,日语的量词中有很多是以单纯汉字形态出现的,然而在表示事物数量的时候,两者的表现形式与方法却是大相径庭的。母语是汉语的日语学习者在量词学习过程中常会遇到量词错误使用的情况,很大一部分的原因就是汉语造成的负迁移,当然,母语正迁移帮助学习的情况也是存在的。正确了解语言迁移现象,探索影响语言迁移的原因,才能更好地掌握量词。

关于汉语和日语中量词的对比研究已经有了比较丰硕的研究成果。日本学者山田孝雄在《日本文法论·1908》①一文中对量词的用法进行了研究。其他的相关研究还有池上祯造的《助数词考》、续三义的《汉日语数量表达比较研究》、翟东娜的《关于日语和汉语的形状量词》《汉语量词“个”与日语量词“つ”“個”的对比分析》、李庆祥的《日语助数词论考》《日语量词详论》、杜玲莉的《汉语和日语的量词对比》等。本文从语言迁移角度进行分析,从而希望能对日语学习者的量词学习起到一点帮助。

二、正迁移

语言迁移是指学习者在第二语言学习中,在使用第二语言时,借助自己母语的发音、词义、结构规则或习惯来表达思考的一种现象,例如我们第一次接触英语时常会用汉语拼音来进行标记记忆。如果母语的语言规则和第二语言是一致的,那么母语的规则迁移会对学习第二语言产生积极的影响,这被称为正迁移。通过大致的分类,具有正迁移影响的量词可以分为两类:一类是早在以前就大量运用在日语中的纯汉字形态的量词;另一类则是从近代开始外来语大量流入后国际通用的量词。这两类词的汉日用法是一致的,学习这类词的时候母语对日语学习是起积极作用的。

(一)纯汉字形态的量词

1.秒(びょう):汉语中对应“秒”。表示时间、角度或经纬度的单位。

2.分(ふん、ぶん):汉语中对应“分”。表示时间、角度的单位。

3.時(じ):汉语中对应“时、点”。表示具体时间的单位。

4.泊(はく):在汉语中所对应的量词为“宿、夜”。(1)指在旅行途中过夜的数目;(2)出租的录像带等在出租期间的时间。

5.日(にち、か、ひ):汉语对应“号、日”。(1)用来计量天数,汉语中对应“天”;(2)用来表述日期,并且有固定的读法,比如:“1日(ついたち)”。

6.週(しゅう):汉语对应为“周”,表示7天或者周数。

7.月(がつ、げつ):表示月份时,读音为「がつ」,汉语对应“月”;表示月份个数时,读音为「げつ」,还有「か月」「箇月」的写法。汉语对应“~个月”。

8.年(ねん):(1)公历的年,汉语用法相同;(2)计量年龄或年级,汉语用法相同。

(二)国际通用量词

1.ヤード、マイル:分别对应汉语量词“码”“英里”,日语和汉语中,含义和用法都是完全相同的。

2.リットル:汉日一致,汉语中对应“升”,是体积的计量单位。

3.ガロン:汉日一致,汉语中对应“加仑”,是汽油、石油的计量单位。

4.グラム、キログラム、トン:汉日一致,汉语中对应“克”“千克”“吨”,是重量的计量单位。

三、负迁移

语言学习者在学习第二语言的过程中,自身的母语对新语言学习的干扰是不可避免的。当母语和第二语言的相似度越高(如汉语和日语)时,母语的思维定势对学习的干扰也就越强。在汉日量词当中,部分汉语量词的计量对象大于日语,另一部分则相反,正确区分两者的区别,记住特殊量词的用法就显得格外重要。

(一)汉语的计量对象大于日语的

1.部(ぶ):汉语中可以用来计量书籍、音乐作品、汽车、电影等。日语中可以计量书籍。

2.门(門もん):在汉语中使用很广的一个量词,可以用于计量“大炮、技术、学问、功课、与家族有关的事”等。而在日语中只能作“大炮”的量词。

(二)日语的计量对象大于汉语的

1.杯(はい):在汉语和日语中都是用来指容器的量词。在汉语中,主要用于计量用杯盛装的液体饮料,像“茶、酒、水”等;但是在日语中,无论是“杯”的意义还是它的使用范围都要比汉语多和广,包括汉语的“杯、碗、瓢、盘、桶、箱”等容器量词,所以它的计量对象不仅是液体,也可以是食物(如面条),它还是用于计量乌贼的特别量词。

2.羽(わ、ば、ぱ):在汉语中主要用来计量鸽子。其他动物多用“只”来表达。但在日语中,情况就完全不同了。“羽”这个量词几乎可以用来指一切鸟类动物及有翅膀的动物等。另外,兔子也可以使用“羽”来计量。

3.本(ほん):主要计量细长的物体。简单列举几种用法:(1)计量外形细长的物体「ビール1本」(一瓶啤酒);(2)某一时期若干部作品「新作手品2本を披露」(表演了两个新魔术);(3)指交通工具的运行数,特指电车「この駅からの始発列車は毎朝5本」(每天清晨这个车站有5班首发车);(4)计量广告数「新聞の広告欄に2本の広告が入る」(报纸广告栏里了2则广告)。

四、影响语言迁移的因素

1.语言本身因素

首先,汉语和日语本身具有一定的共性,所以才有可能形成迁移;其次,这两种语言之间具有差异性,在词汇、语音、语法,语篇方面都存在着较大差异,这也是形成迁移的重要原因。基于语言本身这一特点,在学习第二语言的时候,我们需要掌握语言学习的共同规律,充分利用语言上的共性进行学习,同时区分差异,恰当地选择母语进行辅助学习。在日语学习过程中,尽量减少汉语的使用,也能够减弱负迁移的影响。

2.学习者个人因素

据研究,学习者对目标语的距离感直接影响目标语的`学习。有的学习者喜欢将预先习得的知识应用到新的语言学习中去,而有的学习者则不会,也就是说个人的认识对于第二语言的学习有着重要的影响。因此,日语学习者在学习日语量词的过程中,不能够被固定的汉语量词使用所束缚,尽量营造一种日语的会话环境,最大限度地实现用日语进行交流。积极主动参与到日语会话环境中去,准确记忆汉日差异,实际生活中多接触日本人,更高效地学习日语。

五、结语

总而言之,同一个汉字形态的量词,在汉语和日语中意义和用法相差甚远的情况还是很多的。可以肯定的是,这种相同的“形态”,在某些使用情况下是有重合的,主要原因当然是汉语对日语影响的存续。只是因为经历了漫长的岁月,不同的社会环境和文化背景使得两种语言都有了新的发展,语言本身的含义和用法都在与时俱进。这些差异给母语为汉语的日语学习者带去了最为直接的干扰,所以,我们要推翻“中国人学习日语应该比欧美人学习日语更加容易”这样一种固定观点。相反,在这种情况下,母语为汉语的学生在学习日语量词的时候无形中遇到了更大的阻碍和难关,也就是所谓的“相似度越高的两种语言,给学习者造成的困扰越多,受母语负迁移的影响越大”。因此,汉语为母语的日语学习者在日语量词学习中,不能因为两种语言本身相近而松懈。在记忆和学习的时候更加应该做到辨析清楚汉语量词与日语量词的异同点,防止学习后期由于知识积累而造成的混乱,要在不断探索中找出合适的学习方法和策略。

注释:

①《日本文法论·1908》是山田孝雄的代表作,其中在数词的章节

里描述了有关助数词的用法和品词地位等。后均以此作为日语助数词研究先河。

参考文献:

[1]梁娟美。对汉源日语量词认知研究的思考[J].湖北第二师范学院学报,2016,(11).

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[4]孙群。日汉语量词的对比与翻译[J].日语学习与研究,1984,(3).

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[7]宗守云。认知范畴的原则共相与细节殊相——以汉语量词“条”和日语量词“本”的异同为例[J].当代修辞学,2011,(2).(姜洁旋 浙江宁波 宁波大学外国语学院 315211)

日语毕业论文 篇七

おわりに

中国の文学作品であろうと、日本の文学作品であろうと、「美人を名花に譬え」というF象はよくみられる。_かに、花と女性は`う分野での美の化身で、「美」は花と女性の共通点である。

文は『源氏物Z』と『t楼簟护摔ける「女性を花に譬え」というF象について研究した。第二部分が二つの作品のあらすじとuと地位をB介した。第三部分は二つの作品の女性を花に譬える例をどんどん探してい菠啤なぜ二つの作品も女性を花に譬える理由は中日文化は花にする共通点と花と二つの作品から登訾工肱性とのがりである。もっとも大切なのは第四部分で、例の比を通して、`いを探して述べた。それは、次のものである。女性を花に譬える龊稀『源氏物Z』は一つの女性に辘工牖à衔ㄒ护扦悉胜、よく登鋈宋铯蔚rの感情を述べるために、辘工牖à浃à搿¥饯欷して、『t楼簟护先宋铯味捞丐萘てを表Fし、Y末を暗示するために、一つの女性は唯一の花に辘贰⒆苑偈证辘工牖à浃à胜ぁ¥饯筏啤『t楼簟护吓性の性格と葙|を重しているが、『源氏物Z』は重点を女性の姿に置いた。最後に、要するに、その`いのある原因は日本人のH植物性と文学上の主情性と中日花文化の`いであることをじた。

本は一つの方面から中日文学の同をじる。しかし、もっとよく中日の比^文学を理解したいなら、もっと多くの作品とほかの方面から探さなければならない。それゆえ、これを今後のn}に残してにしたい。

参考文献

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[13] 何小颜。花与中国文化〔M〕.北京:人民出版社,1999

[14] 叶渭渠。日本文学史〔M〕.北京:昆仑出版社,2004

[15] 周汝昌著。t楼の芸g魅力〔M〕.北京:作家出版社,2006

[16] 周思源。论红楼梦的艺术魅力〔M〕.北京:中国社会科学出版社,

[17] 周作人。谈日本文化〔M〕.北京:人民文学出版社,1980

x辞

二○一一年十月、研究テ`マ『中日「美人を名花に譬える」F象における一考察DD『源氏物Z』と『t楼簟护蛑行膜恕护Qめてから、これをめぐって、き始めました。文をくうちに、指Ы坦伽颏悉袱帷⒏飨壬のご支持とご援助を受けさせていただきました。ここで心から先生方に感xいたします。クラスメ`トの皆も拙のくに、f力をくれました。クラスメ`トの皆にも心から感xします。先生方の、友_の助けがなければ、拙はうまくけなかったのです。

拙をくとき、参考した先行研究の作者に感xいたします。彼らの研究成果がありますから、初めて拙があるのです。答弁委T会の皆にご意いただきましたことを感xいたします。

最新日语毕业论文范文二:

アニメへの信仰心をYびつける若者の新しい宗教Q

要旨

本文ではアニメ作品の外部に存在する宗教的要素についてみていく。作品の外部に存在する宗教的要素とは、その作品の内容自体には宗教的要素がそれほど登訾筏皮い胜い摔猡かわらず、外的要因によってその作品とYびつけられている宗教的要素を指す。ファンたちがアニメ作品の}地巡礼として行っている神社参がその例である。本文ではテレビや新などのメディアでも多く取り上げられた「らきすた」と「楣BASARA」の事例を示す。それらから、アニメの外部にFれている宗教的要素とその役割、そしてアニメと若者の宗教的行椁伍vS性について考察する。

キ`ワ`ド:アニメ 宗教Q 若者

1. はじめに

F代の日本をてみると、Lいs史を持った日本古来の宗教やそれにvBした行事は、日本人の日常生活の一部となる中でその宗教性をJRされなくなってきている。その一方でクリスマスといった外来の宗教行事が、一Nのイベントとして日本人の生活の中に深く浸透している。それはつまり、今の日本は々な宗教が身近に存在し、それらが日本人の生活に定着している一方で、宗教が宗教としてJRされていない状Bなのである。また、F代の日本人は一般的にo宗教的だと、主Q的にも客Q的にもJRされている。このようにF代の日本は、宗教のがeれているr代である。このような状rの中、宗教はF代の日本文化にどのような影を与えているだろうか。そして宗教とF代の日本文化はどのようなvS性を持っているだろうか。この文ではF代日本を代表する文化の一つであるアニメと、日本に存在する宗教の中でも古来より信仰されている神道を主に取り上げる。アニメにおいて宗教的要素がどのようにFれ、どのような役割を果たしているかをていき、アニメと宗教のvS性を考察する。文の造としては、本文では、「らきすた」と「楣BASARA」を例にい病⑼獾囊因によってアニメとYび付けられる宗教的要素について考察する。

2. 先行研究

インタ`ネットでいろいろと{べたが、国内では大分日本のアニメbIとかアニメの表Fとかの研究である。アニメと宗教のvSについての研究はそんなに多くないである。私の文は

それらに比べ物にならないだが、本文はアニメにおける宗教的要素はそれにする信仰心を者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的Qをも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影を与え合うという、非常にいvS性を持っていることに视している。

3. 「らきすた」と「楣BASARA」の事例

3.1 「らきすた」の事例

「らきすた」は、美水かがみによる同名コミックを原作として、 年に独立UHF 局で放送されたアニメ作品である。女子高生の日常をコメディタッチに描いたアニメであり、作品自体には宗教的要素はほとんど登訾筏胜ぁV饕登鋈宋铯扦る挨がみ、つかさ妹のg家がm神社という神社であり、彼女たちが巫女として神社でPくシ`ンが作中に登訾工毪挨椁い扦る。しかしアニメjIなどでm神社のモデルとして斡癖hm町のm神社がB介されたことにより、ファンがアニメに登訾筏鏊としてm神社をLれるようになった。m神社はv|最古の大社と言われるなど、非常にLいs史を持った神社である。そんなm神社で、アニメファンたちが「らきすた」の登鋈宋铯违ぅ楗攻趣蚪}Rにきのこし、登鋈宋铯违偿攻抓欷颏筏撇を行う姿などがテレビなどで大きく取りあげられた。そしてm町の商工会が独自のアニメグッツ制作やイベントの婴胜伞⒌赜蛘衽d策に取りMんだY果、m神社をLれるファンの数はえAけた。それは初の参客数が 年にはその年の斡癖h内第3 位となるs30 万人、 年には第2 位となるs42 万人、 年には^去最高の45 万人に_したほどである。

3.2 「楣BASARA」の事例

「楣BASARA」は、同名のアクションゲ`ムを原作として2009 年にTBS 系列で放送されたアニメ作品である。楣r代を舞台に、O定や外を大胆にアレンジされた、g在する楣武将たちの荒唐o稽な椁い蛎瑜い孔髌筏扦り、「らきすた」と同に宗教的要素をQっているわけではない。しかしながら、ゲ`ムやアニメのヒットによって女性ファンのgで楣武将ブ`ムが起こり、主人公の一人である伊_正宗ゆかりの地である、仙台城Eにあるm城ho国神社に多くの女性ファンがLれた。m城ho国神社は、明治37 年に招魂社としてtされた神社で、F在はm城h出身の槊徽撙蛑行膜硕啶の英が祭られている。以前は中高年婴尾客が多かったが、F在では若い女性の参客がえ、アニメやゲ`ムに出てくる楣武将のイラストを}Rに残していく姿がよくみられるという。

4. 若者の宗教性と}地巡礼における神社参とのvS性

4.1 若者の宗教性の特

F代において、日本人の宗教にするd味、v心は希薄である。それは朝日新のの{摔恰缸诮踏伺d味がない」と答えた人が77%に上ったというY果や、さまざまな{摔恰柑囟à涡叛訾虺证摹工却黏à敫詈悉しだいにp少し、F在では3 割を切っているというF状から分かる。しかしながら日本では、一年を通して初や七五三またクリスマスなどの々な宗教的行事を多く行われ、朝日新の{摔摔瑜毪热国平均でs半数の家庭にや神棚があるなど、日常生活に宗教が根付いているのも事gである。このような状rから考えると、日本人はo意Rのうちに々な宗教を受け入れ、宗教にする信仰心がありながらも、eO的に特定の宗教を信仰することや、自的に宗教に接するC会が少ないという意味で宗教性が薄いと言える。

そのなかでアニメファンの中心である10 代から30 代の若者の宗教性はどのようなものであろうか。若者にvしては々な{摔恰「信仰がある」とする割合が他の年代に比べて低い、「宗教を大切にする」とするよりも「宗教を大切にしない」とする割合の方が多い、「神どちらかを信じている」とする割合もp少しAけているなどのY果が出ている。これらの{私Y果から、若者は唤y的な宗教や既存の宗教にするd味やv心が低いことが分かる。また他の年代に比べて墓参りや初以外はあまり行っていないという{私Y果から、若者には宗教的行椁蛐肖C会も少ないと言える。このように若者は他の年代に比べてさらに宗教性が薄いのである。

しかしながら初にvしては特盏膜恰⑺の年代よりもg施する割合が高く、しかもg施する割合は年々加している。したがって若者は宗教的行椁沃肖扦獬踉にしてはv心が高いと言える。ただし、そうは言っても若者と神社のつながりが特eいというわけでない。初以外で神社に参するC会が少なく、自分の住んでいる地域の神社とvS性をもたない割合が四割を超えるなど神社自体にvするv心は低いのである。これは初が日本人の年中行事として定着するなかで、宗教行事としてみなされることが少なくなり、若者にとって一Nのイベントとなっていると考えることができる。

4.2 若者の宗教性の特栅嚷}地巡礼における神社参とのvS性

若者の宗教性の特栅仙嫌のとおり、「既存の宗教全般にするv心は薄いが、初にvしては行う割合が高い」というものであった。ではこのような若者の宗教性とアニメ作品の}地巡礼における神社参はどのようなvS性があるだろうか。神社にする参というものは元々、伊萆mで祀られている天照大神、出大社で祀られている大国主の命みこと、全国に存在するR荷神社や八幡神社におけるR荷信仰、八幡信仰など、各社の祭神への信仰心によるものであった。初も住んでいる地域の氏神神社やその年の{方、すなわちF起が良いとされる方向の神社へ参するものであり、神が居住まいを正して来Rしてくる「ハレ」のrである正月において、神を清筏市纳恧怯える行事であった。これらは日本人に代々根付いてきた素朴な信仰心によるものと言えよう。

しかしながらアニメファンの}地巡礼における神社参は、そのような纠搐巫诮痰Qや信仰心のもとで行われているものではない。外面的には日本の唤yにのっとった宗教的行椁扦悉るのだが、神社への参を行うアニメファンの原恿Δ趣胜盲皮い毪韦膝ニメ作品にするd味やv心という、日本人に根付いてきた信仰心とは全くeのものであるである。そして、}地巡礼という言~がもともと宗教的な用Zであることを考えると、アニメ作品の}地巡礼の原恿Δ趣胜毪长闻d味やv心というのは、そのアニメ作品にする信仰心と言いかえることができるであろう。つまりアニメ作品という、虚であり、これまでなかった存在にする新しい形の信仰心が、神社への参という唤y的な宗教的行椁私Yびついているのである。

アニメファンの中心である若者は既存の宗教にするv心は薄いかもしれない。しかしながら、アニメにする信仰心がgHの宗教的行椁g践に影を与える、つまりまったくeのものを既存の宗教とYび付けるという、新しい宗教Qが彼らから自然と生み出されている。このようにアニメの}地巡礼における神社参というものは、新しい宗教的Qを提示しつつ、日本古来の宗教にしても目を向けさせるという二面性を持った行椁扦る。そしてアニメ作品において、表面的には宗教的要素がFれていなくても、後k的に宗教的要素を持つという可能性も提示している。

5. おわりに

本文では、作品自体には宗教的要素を含んでいないにもかかわらず、ファンの}地巡礼という外的要因によって既存の宗教とYび付けられているアニメ作品として、「らきすた」と「楣BASARA」を取り上げた。これらの作品は、既存の宗教とアニメへの信仰心をYびつける若者の新しい宗教Qと、神社への参という唤y的な宗教行事へのd味やv心を同rに生み出している。これらは先行研究となり、アニメが宗教にして影を及ぼしている例であり、アニメと宗教の新しいvS性を示すものであった。このようにアニメには、自然崇や神道など々な宗教的要素が登訾贰その使われ方も制作者のメッセ`ジの一部としてや、作品の世界Qなどを特栅扭堡毪郡幛胜啥喾N多であった。そしてアニメは宗教に影を受けているだけでなく、逆にF代の宗教的Qに影を与えてさえいる。この文を通じて、一Yびつきが薄そうなアニメと宗教が密接にYびついていることが分かった。そして本でてきたように、アニメにおける宗教的要素はそれにする信仰心を者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的Qをも生み出している。このようにアニメと宗教は相互に影を与え合うという、非常にいvS性を持っているのである。

参考文献:

『菊与刀』 Rベネディクト著 hU _Ku注 当代世界出版社

石井研士『デ`タブック F代日本人の宗教 a改版』、新曜社、2007 年

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『山日日新』、2004 年9 月25 日「跄谯啶晤今度はアニメの舞台に蒌の作家ら尾道でロケハンを」

ス`ザンJネイピア『F代日本のアニメ』、中央公新社、2002 年

叭jp、2010 年1 月5 日「らき☆すた:“}地”m神社の初で客数45万人^去最高、アニメ放送前の5倍に」

本科日语毕业论文 篇八

摘要:随着各大院校开设日语专业以及目前中国经济进入“新常态”,在华日企运营受到一定的影响,形势呈现趋紧势头,就业又添难度,日语专业毕业生就业情况并不乐观。本文将根据25家常熟东南开发区日企、65名日语专业学生、115名本院日语毕业生以及部分高校的调查数据进行分析,阐述日语课程与企业需求之间的差距、日语毕业生能力具备要求与企业需求差距、在校日语专业学生应当重视的焦点等问题。

关键词:在校生现状;毕业生调查;用人单位需求

近年随着语言教育的不断发展,语言专业学生数量剧增。随着日企进入我国,日语专业的学生数量明显增加,但毕业后能否找到与本专业相符的工作成为各界关注的焦点,同时也是我们日语专业学生关心的问题。本次研究主要是站在未毕业的日语专业学生的角度,思考并研究日语专业就业问题,为本专业学生提出建设性方案。

一、研究概况

1.研究目的。通过分析日语专业学生就业问题,找出与之相对的应对措施,帮助日语专业学生在掌握原有的日语专业知识基础之上,找到符合用人单位要求的其他技能要求。

2.研究对象。本次研究主要以我院2009~2012级日语专业毕业生和目前在校的日语专业学生,以及常熟市范围内(主要以东南开发区为主)的日资企业的人事部门、日语专业的从业人员为主要调查研究对象。

3.调查研究方法。主要是采用数据分析、问卷调查辅助的市场调查、电话邮件采访以及文献查找法来展开研究。

二、研究内容

1.在校生现状。对目前在校生现状包括课程安排、校方培养计划进行资料整理,列出日语专业学生在校所学内容。通过分析得出目前哪些课程是对工作影响很大,哪些是未涉及到而企业恰巧需要的。

2.毕业生调查。从近年来我校日语专业毕业生情况,包括毕业前志向、毕业后实际从事职业以及在其工作中日语的使用比率等,来分析目前日语专业学生的就业方向和选择。具体列出脱离日语工作、单凭日语工作以及日语与会计、IT、管理相结合工作的比率。

3.用人单位需求。从市场需求的条件、用人单位对日语专业毕业生其他方面能力要求方面出发,进行调研,得出市场调查结果。

三、研究调查结果分析

1.课程内容分析。根据日语专业四个年级课程安排及培养计划,得出如下分析:①基础知识方面:日语会话、听力、语法、口译、作品选读。②操作实践方面:日语文字处理、日资企业见习、日语演讲、国际会展实训,学年设计。③翻译方面:基础日汉互译、商务模拟翻译、高级口译。④商务方面:商务日语会话(新设:商务日语写作、电子商务实践)。⑤其他知识扩充:职场英语、国际金融、进出口贸易、报刊新闻选读。企业所需要的学校课程都有涵盖(企业所需由后文4可知):会话(商务日语会话)、写作(商务日语写作)。课程中未曾涉及日语商务电函,不过这一课程有开设英语商务电函,我们应自行弥补学习。我们所欠缺的是:①对自己感兴趣领域的涉足,应当自行学习培养。②对启蒙基础知识,未掌握、实际运用那少,应当扎实掌握,利用学校提供的实践机会。

2.毕业生调查结果分析。我们采用自制的“日语专业学生毕业生情况调查”问卷,运用随机抽样的方法。通过网上问卷的方式进行,还有部分采用电话询问的方式,将得到的回答也已以数据形式反映(样品数为115,回收的有效问卷63份),具体问卷内容及数据分析如下所示:目前从事的工作是以下哪个方面?由数据统计可以得到,2009~2012级日语专业毕业生目前从事与日语专业无关的工作占总数的20.63%,其次则是单凭日语工作的为19.05%,剩余均为从事日语+其他。由此归结出,日语专业毕业生在实际就职中大部分都是将日语结合其他技能进行工作的。结合最多的有:财务、人事、计算机、采购、其他(包括国际贸易、市场营销、产品设计)。另外,通过电话访问得知:从事日语结合金融、人事、计算机的毕业生均在毕业前取得相关证书。从事其余类型工作的毕业生反映,企业有入职后的专门培训与学习。关于问卷中涉及的日语毕业生“实际工作环境中用到日语哪方面更多”这一问题调查,有77.78%的毕业生表示会话在实际工作中用得更多,仅次其后的听力为69.84%,写作则为30.16%。此问题主要是为了调查日语专业学生在实际工作中日语的有效利用率。同时,也一定程度地反映了课程与实际的差异,从而得出我们应该加强哪一方面的训练,并及早地发现自己是否背离日后工作的需要。结果显示,会话与听力占比例最大。当然,从电话采访中可知,日语翻译与文案编辑者,仍会用到写作。因此要看个人选择,但是从调查结果可以看出的是:会话与听力为每一项日语工作者的最重要的能力。“在工作中最后悔没具备哪方面知识?”统计结果显示:日语专业知识使用(商务、金融)为42.86%;计算机方面知识为12.7%;企业岗位专业知识为7.94%。本题则是为了发现工作中应具备的其他能力大多有哪些,帮助在校生利用剩余时间进一步武装自己,多学以备不时之需,但也并非遍地撒网,而是有目的地扩充知识。由此看出,日语专业毕业生在实际工作中,还需具备或应当扎实的知识技能有:其他外语、日语敬语、邮件函电、具体领域术语涉猎。

3.在校生现状。

在校生现状主要包括心理现状,对日语以及课程、未来走向的态度看法调查。通过网上问卷的形式对目前日语专业学生进行了问卷调查,以此为了进一步发现学生对课程的反应与实际要求相比的差距性。调查结果如下:当初选择日语专业原因?有44.68%的学生表示没有目的地选了日语专业(服从调剂),有38.3%的学生表示自己是对日语及日本文化感兴趣;8.51%的学生为了以后就业;仍有8.51%为了去日本发展。另外,对于“除了日语,你是否还获得了其他类的证书”的问题调查,从问卷结果看出68%的学生目前暂无,剩下的32%中以计算机和会计为多。从在校生的现状及其对日语专业的态度进一步推进研究的进展,得出大多数日语学生的意图与态度是积极的,并且有大部分的日语专业学生已选择将日语结合其他技能作为自己日后从业的砝码。

4.企业市场调查结果分析。

以常熟地区主要是东南开发区以及周边的日资企业(三菱电机自动化、东南相互电子、纬创资通、丰田物流)的人事主管为对象,主要采用问卷辅以问题采访的形式调研,部分采访则是通过日语从业人员的传达完成。内容主要是日资企业对日语专业毕业生的知识结构和工作能力的要求以及相关建议。采访内容:

①目前公司是否需要日语专业人员。②日语从业人员的主要工作岗位或是负责范围。③对日语专业人员的相关标准,是否硬性规定证书获得。④应届毕业生是否受欢迎,工作中更需要口译还是笔译。⑤除了日语,还需具备哪些技能。⑥用人单位对日语专业学习者有哪些要求和建议。受访用人单位回答总结如下:用人单位对日语的口语要求更高,但同时也补充了,岗位不同要求也会有一定不同(日语翻译则侧重于翻译水平和写作能力,不过大多数公司都是复合岗位,口语是基础)。

受访用人单位表示,希望毕业生会商务电函基本回复,具备基础的计算机操作技能(办公软件足以),具体的领域专业知识,毕业生不必太拘泥,企业会有后期培训。对于能善于表达自己、有明确主张看法,并能及时处理事物的人,用人单位表示很乐于采用。受访者认为从业的日语毕业生的欠缺之处是缺乏自信、不善表达自我主张。日语从业人员的从事的不单是日语,大部分为:采购员、会计或出纳、秘书、业务担当、总务、翻译、市场销售、财务秘书。另外,用人单位受访者还表示,应届毕业生受欢迎,有前途,是年轻血液。同时表明,对求职者的要求不是刻板不变的,证书不是硬性要求,主要看重你能否听得懂说得出。有些水平是可以在日后锻炼出来的,但并不代表不要求会,前提是你要会并能说出,水平是另一回事。

四、调查综述

综合上述的`调查结果分析,日语专业课程安排与企业要求大致是相符的,也是更趋于实践实训,但日语专业学生欠缺的是将基础学习扎实。根据调查得出,公司口语与商务日语会话这两项是重点。对于复合型人才,根据调查数据可知,企业更倾向于具备金融和计算机或者其他专业的日语毕业生。而大多数人都只是在单一的语言文字上熟悉,其他知识面较欠缺。企业所需要的人才趋势是综合能力较强的复合型人才。根据毕业生的调查可知,金融与计算机等复合技能是有必要的。这是目前得出的有利于在校生的有用信息。在此基础上,在剩余时间熟悉某一领域则更能适应用人单位择人要求。要有所长也要有专长。以上就是此次调查研究的总结与汇报。希望能对日语专业在校生起到一定作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。

五、结语

本次研究调查为期十个月,课题小组第一次站在未毕业日语专业学生的角度去研究日语专业毕业生就业问题,从而找到让自己适应就业需求的有效方法。整个研究过程从前期的资料收集以及汇总搜集毕业生的联系方式、设计调查问卷、在网上公开问卷并收集,到后来的在招聘会现场进行市场调查,进行电话采访、用人单位采访、与毕业生交流,这每一步的进展都离不开小组成员的分工与合作。问卷的设计是小组成员集体智慧的精华,虽说可能并不能代表所有学生的心声,但也应该能反映绝大多数学生的想法。在研究过程中,有些采访问题也是主要依据研究方向而设置的,未能做到具体细微,但精华与有用信息已写入报告。希望本次研究调查能对日语专业在校生起到一定建设性作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。最后,我们还要感谢李敏英老师的指导以及赵静、王京钰、闫飞老师为我们提供的帮助。

参考文献:

[1]常熟理工学院日语专业本科生培养方案及培养计划[Z].

[2]刘琦霞。浅谈国际化和日资企业所需的专业人才[J].对外经贸实务,2009,(5).

[3]秦秋,程冷杰。复合型外语人才培养的研究与实践[J].中国大学教学,,(9).

[4]黎娟。日语专业学生的就业前景[J].企业家天地,2009,(10).

日语毕业论文谢辞 篇九

首先,非常感谢我的导师--XXX老师。X老师学识渊博、风趣幽默,在读研究生的两年期间,在课堂上诲人不倦,在课下对学生关怀备至。虽然X老师平常教学任务繁重,但是不管多忙,老师都会定期召集我们开小组讨论会,为我们答疑解惑,并时时督促我们要多看书、多思考。在刚进入研究生的学习阶段,X老师就在学习计划的制定方面对我们提出了很多建议,这使当时茫然的还未适应研究生生活的我顿时找到了努力的方向。在论文选题阶段,X老师向我推荐了翻译理论相关的书籍及期刊,希望我能从中找到自己感兴趣的课题,进而敲定论文题目。在撰写开题报告和论文的过程中,X老师都给予了我悉心的指导。在修改论文阶段,X老师更是耐心地纠正内容上的不妥之处以及书写格式上的错误。每一次在和老师对论文进行交流之后,都会让我感到受益良多。X老师严谨的治学态度以及认真负责的工作态度也为我树立了榜样。

其次,还要感谢XX大学外国语学院对我的栽培。非常感谢日语系的XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师、XX老师为我们传业授道,让我能够再一次专业并系统地学习日语翻译方面的知识,同时也更加深入地了解日本文化。从各位老师的课上,我不仅学到了很多专业知识及学习的'方法,同时也使我深刻地认识到了自身的不足之处,这为我以后的学习和工作指明了努力的方向。

再次,我要感谢我的父母。正是因为有了他们的支持和鼓励,我才能够顺利地完成学业。

最后,十分感谢各位评审老师能够在百忙之中审阅此论文,谢谢!

本科日语毕业论文 篇十

摘 要:毕业论文是培养和检验学生综合运用所学理论知识分析问题、研究问题、解决问题的重要手段,考查重点是语言基本功、专业知识应用和思辨创新能力。毕业论文的形式可为学术论文、翻译作品、实践报告、调研报告、创意写作等,选题应符合培养目标的要求,格式需符合学术写作规范或行业规范。对日语专业毕业生提供毕业设计形式多元化选择的改革是非常必要的。

关键词:日语;毕业论文;多元化;改革

毕业论文作为检验大学生的学习成果以及分析解决问题能力的手段之一,无论对于学生、老师,还是学校,都具有重要的意义。但是近年来,抄袭拼凑、代写、答辩走过场等问题导致毕业论文日益质量低下。再加上,由于毕业生面临就业压力,大多本科生的论文粗制滥造,毕业论文屡屡成为教育工作者讨论的议题,对其存废也充满争议。日语专业因为是从零起点起步,所学课程多为专业基础及商务实用类型的课程,而以往毕业论文常常容易出现既与职场需求脱钩,也与平时所学课程乖离的现象。笔者利用问卷调查了长江大学日语专业的毕业论文状况,发现引用率过高、语法错误、口语化表达、结构松散和缺乏独立见解等是论文普遍存在的问题。其产生的原因是多方面的,既有学生学术素质上的因素,也有教学和管理上的因素,更缘于大学教育与社会实践的严重脱节。

针对这种现象,有必要对日语专业本科毕业论文进行改革。改革本科毕业论文单一和流于形式的现状,尝试多元化的考核与评价方式成为必然。

根据当前经济形式发展、社会市场需求以及日语人才培养的要求,可以从毕业论文形式上进行改革,实现多元化的形式。具体来说,可以将毕业论文形式定为学术论文和非学术论文形式两种。学术论文主要针对毕业后考研的学生,培养学生的资料整合能力、知识构架能力,为研究生阶段的学习打下基础;非学术论文主要针对毕业后就业学生,培养学生的综合性、实践性、应用性、创新性与多样性,从而实现教学改革与社会实际需求的有效对接,满足社会对各层次、多种类型人才的需求。

具体来说,非学术论文形式又可采取社会实践报告、翻译实践报告、跨文化案例分析等形式。社会实践报告通过对希望从事行业或感兴趣行业的社会调查,提交实践报告,重点培养学生发现、分析和解决问题的能力。翻译实践报告,可参考其他院校翻译硕士毕业论文的经验,借鉴专业翻译公司的全程管理模式,使学生在大学校园内就能够熟悉、掌握职业翻译所应遵循的操作流程,为毕业后尽快适应实际工作创造了条件,使毕业论文成为毕业生连接职场与校园的一座桥梁。跨文化案例分析主要是指用跨文化的视角,结合跨文化交际中的文化差异问题,以具体实例为解读线索,归纳总结中外文化差异现象。研究视角可选取中日国情、文化、历史、艺术、民间交流、贸易往来等各多个层面。要求毕业生必须以跨文化交际理论为纲,以案例分析为线索,解读所选主题。案例分析须涵盖背景介绍、研究角度、研究路径、案例分析、主题解读、结论等方面。

除此之外,还可以积极采取其他毕业论文替代形式,对于在本科学习阶段获得与本专业相关的高级别、高水平学科竞赛国家级奖项、省部级奖项奖项者,在以第一作者身份在核心期刊公开发表与本专业学科相关的学术论文者等等,可以尝试以此来替代毕业论文的写作任务。从而达到鼓励学生向着多元化创新性人才方向发展的目的。

对日语专业本科论文的写作形式进行多元化改革,有利于饱受质疑的毕业论文抄袭、选题单一、狭窄、缺乏实效、与社会脱节、没有创新意识等弊端得到有效缓解,学术考核更为务实创新。有效地促进高校日语本科毕业论文写作质量的提高,对有针对性地修订教学大纲提出建设性意见。同时,激发学生个性潜能与专长展示,促进全面发展,更好地培养学生的创新与实践能力。对进一步完善毕业论文教学管理和评估体系提供理论指导和参考。

伴随着毕业论文写作形式多元化改革,亟需解决的首要问题即评价体系的制定与完善。无论是学术论文写作形式还是其他非学术论文形式,都必须严格过程监控,精简务实,加强质量管理。学术论文的写作可以参照多年来的评价标准和体系。非学术论文写作必须符合《高等学校日语专业教学大纲》提出的要求,即能够考查学生综合能力,长度不少于5000个单词(翻译除外),要求文字通顺、思路清晰、内容充实,有一定的独立见解;除翻译作品外,一般使用日语撰写。评分时除了考虑语言表达能力外,还应把独立见解和创新意识作为重要依据。

聚焦教学环节中的最后一环CCCC毕业论文,将其作为突破口,用论文改革倒逼教学改革,使学生不但能够通过毕业论文的写作提高外语写作能力和学术素养,而且要努力将毕业论文打造成培养应用型人才的综合性实践教学环节。同时,针对论文指导工作也应进行改革,可以尝试让日本外教也参加论文指导,对部分学生实行中、日双教师指导制,努力使这部分论文首先成为能够代表日语专业教学水平的“精品”论文,为其他学生做出表率。随着毕业论文的改革,日语专业的教学改革与专业建设也将迈上一个新台阶。

参考文献:

[1] 蒋良波。非传统形式毕业论文(设计)质量监控的探讨[J].时代教育,(11):149

以上就是众鼎号为大家带来的10篇《日语毕业论文范文》,希望可以启发您的一些写作思路,更多实用的范文样本、模板格式尽在众鼎号。

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